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小学生の娘が「パパの本棚にある画集を見てたらセザンヌが好きになっちゃった」と言う。あの人が僕にセザンヌの話をしてくれたのは、ふたりがちょうどこの娘ぐらいの歳だった。「自分が本当に好きなセザンヌを見つけて欲しいな」と言うと、娘はけげんな顔をしたまま黙ってしまった。
クラスで一番の優等生だった幼馴染の彼女の部屋は明るく、いつも綺麗に片付いていた。壁には赤い屋根の傾いた家の絵が一枚画鋲で留めてある。
「この絵はね、セザンヌの“シェ・ド・ブッファン”なの。大人になったら本物を買うつもり」 プラモデルと少年マガジンにしか興味がなかった僕はセザンヌが誰なのかも知らない。それを見透かしたように「フランスの画家なのよ。パパが大好きで、たくさん本を持ってるから、私も好きになったの。見せてあげるね」と彼女は父親の部屋から一冊の大きな画集を持ってきた。ベッドに腰掛けて彼女は画集のぺージをめぐりながら、絵を一枚一枚説明してくれた。僕にはほとんど理解できない言葉で。大きな窓から差し込む午後の光に照らされた彼女の白くて細い指、長い髪から微かに漂ってくる快い香リ。時折ふたりの肩が触れ合うたびに僕は息が詰まりそうな気がした。
しばらくして彼女は両親のすすめにしたがって有名な私立の学校に転校していった。そのとき、誇らしげな彼女の表情の中に少しだけ寂しそうな影を見たような気がしたのは錯覚だったろうか。
それ以来、ふたりの間に共通項は無くなった。偶然道で出会うことがあっても、僕にとって彼女は遠く、まぶしい存在となってしまい、ちぐはぐな短い言葉を交わすことしかできなかった。
ようやく入った三流大学の文学部で僕がぐずぐずとモラトリアム状態を続けている間、順調に大学を卒業した彼女は父親と同じ外務省のエリートと結婚して、夫の勤務地のフランスに移り住んでいった。永井荷風が描いた東京を卒論のテーマに選んだ僕は、自分が何をしたいのかわからず、ただ漠然とフランスに留学する夢を描いていた。でも、フランス語の実力が決定的に不足していたため、代わりにアメリカの大学に留学することになった。結局、フランス行きを諦めアメリカヘという荷風と同様の道をたどることになったわけだ。
何年か後、彼女の父親が亡くなったことと、その直後に彼女が突然失そうしてしまったという話を風の便りに聞いた。「私のセザンヌを捜しに行きます」という短い置き手紙だけを残して。誰もその言葉の意味が理解できなかったらしい。でも僕にはわかるような気がする。“シェ・ド・ブッファン”を捨てる決心をした彼女の気持ちが。
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