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ざっとあげるだけでも、裁判でマインツの書記官から母親の遺産の年金をもぎ取ったかと思えば、亡くなった共同事業者の弟から出資金の返済をせまられたり、親戚からは大金を借りてみたり……。まぁ彼としては、お金にふりまわされるのも偉大な発明が完成するまでの辛抱で、活版印刷術が実用化をみれば必ずや大金が手に入り借金生活からもおさらばできるはず、との読みでせっせと研究に打ちこんでいたわけですが……。学問や技術に秀でた者が世渡りにも長けているとは限らないのは世のならわし。巨額の資金を提供してくれていた金融業者ヨハン・フスト(Johann Fust、1395?〜?)からの突然の返済要求によって、グーテンベルクの生涯に大きな誤算が生じます。 資産家でもないグーテンベルク自身には活版印刷の研究資金がなく、人からの借金に頼るしかありませんでした。そんな彼に、合計1600グルデン(現在のお金に換算すると推定一億円以上!?)もの大金をポンときまえよく貸したのが金融業者であったフスト。フストは商売上の利子を6%に設定していましたが、大方おまえにだけは無利子で貸そうなどと甘い言葉でも使ったんでしょう。そんなフストを信じて日々研究に打ちこんでいたグーテンベルク。それなのに、あとひと息で完成、さあ操業を始めるぞという頃あいを見計らって、突然返済をせまって裁判所に訴え出るとは、まったくフストの悪知恵にはおそれいります。無利子の口約束をたてに必死の応戦体勢をとるグーテンベルクでしたが、証拠もないのに勝ち目などありませんでした。 計算通り、借金のかたに印刷中の『四十二行聖書』の版権もふくめたグーテンベルクの工場一式をまんまとせしめたフストは、すぐさま娘婿でグーテンベルクの弟子でもあったペーター・シェッファー(Peter Schoffer、1430?〜1503)と組んで『四十二行聖書』を完成させ、世に送り出します。安手のドラマのような裏切りによって一文なしで路上に放り出されたグーテンベルク。金の切れ目が縁の切れ目とはよくいったもの、親しかった人々も彼のもとを去り、当然他からの借金も返せずに、すっかり四面楚歌の状態におちいりました。 ただ、グーテンベルクにとっての大きな救いは、冒頭でも触れたように、このときの詳細な裁判記録が強力な証拠となって、ライバル達(活版印刷発明者の候補は他にも何人かいました)を尻目に活版印刷術の発明者としての栄誉を勝ち取れたことでしょう。もっともこれは彼が亡くなったずっと後のことですが。 さて、すべてを失ったグーテンベルクにも手をさしのべてくれる人は存在しました。そんな奇特な紳士、マインツ市の法律顧問コンラッド・フメリー(Konrad Fumery)博士のおかげで、グーテンベルクは新しい印刷工場を手に入れることができました。一方、フストが奪った工場は、1461年に内乱の余波を受けて焼かれてしまうのでした。 その後のグーテンベルクについては、没年すらもはっきりしないくらいですから、晩年に関しても諸説ふんぷんです。もっともなさけないものでは、視力を失ったあげく悪童達にいじめ殺されるという、浦島太郎の「亀」以下の悲惨な最期になっていますが、これではあんまりなので、もう少し穏便なものでここはしめましょう。1465年にマインツの大司教によって家臣にとりたてられ、免税と衣服・穀物・ワインの支給を受ける身になったグーテンベルクは、始終悩まされた金銭問題からは開放されて、少なくとも経済的には最低限保証された生活のもと、1468年頃にこの世を去ったということです。 *写真はフストとシェッファーが『四十二行聖書』の後に取り組んだ『聖詩篇』です。 執筆:杉山朋子、村松佳子、蛭田龍郎
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