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日頃コンピュータを使っていると、知的財産権または知的所有権に関わるこまごまとした記述が、いやでもしょっちゅう目に入ってきます。広告でも商品パッケージでもマニュアルでも、メーカー名、ソフト名、フォント名の一つ一つについて「×××は△△△の商標、または登録商標です。」なんて言葉が並んでいますね。また(c)という著作権マークは、あらゆる書籍の奥付でおなじみのはずです。いちいち面倒臭いと思いがちですが、これはメーカーや著者にとっては忘れてはならない重要な手続きです。 知的財産権および知的所有権を明記しているものに関しては、やたらなことはできません。もしも侵害した場合は立派な犯罪行為になります。日本では21世紀を迎えようという今日でさえ、こうした目に見えないもの、はっきりした形のないものに関しての認識がまだまだ甘いように思えますが、ヴェネチアでは、16世紀の初頭においてすでに知的所有権を主張しつつも、当時のその効力の無さにさんざん泣かされた人物がいたのです。その人の名はアルドゥス・マヌティウス(Aldus Manutius, 1450?〜1515)。イタリック活字の創始者として知られた人物です。
アルドゥスは当時の出版界に、大量の新風を吹き込みます。まず、印刷の対象に、学生時代の自身の研究対象でもあったギリシア古典を選びました(当時のイタリアで印刷物や本といえば、宗教書か学者の著作がほとんどでした)。続いて、大きくて重厚なのがあたりまえだった本の大きさを、持ち運びに便利な八つ折り版(1枚の紙で16ページ分を印刷する大きさ)に縮小しました。本を小さくしたら、活字も小さな紙面にあったものが必要になります。そこでイタリック体が考案されました。このイタリック体、緻密でスペースを取らないのはいいのですが、美しく並べるには大変多くの抱き合わせ文字が必要で、普通のローマン体よりたくさんの活字を作る必要があったそうです。さらに、購入者が費用を負担して好みの表紙を付けていた装丁の世界に、ハードカバー付きの本を持ち込んだのもアルドゥスでした。表紙付きなんて、現在は当たり前のことですが、当時は画期的なことだったのです。 さてさて、アルドゥスのこうした素晴らしい新開発により、イルカと錨マークの本はイタリアのみならずヨーロッパ中で有名になります。そのうちに、当然の成り行きとして、彼の新機軸を無断でまねする業者がどんどん出現。新感覚で多くの工夫を生みだしたアルドゥスのことですから、著作権についての意識も進歩的でした。あまりにも知的財産に無頓着な所業の数々は腹に据えかねたようです。さっそく彼は模倣防止対策として、自分の新発明に独占的な特権を、つまり今で言うところの特許を取るために動きます。そして1502年11月にめでたくヴェネチア議会の承認を得、翌月にはローマ法皇の勅書も受け取るのでした。 アルドゥスはひとまず安堵の胸をなで下ろしますが、すぐにそれは大間違いだと気づくことになります。この独占権が通用したのは、ヴェネチア共和国内やローマ法皇の勢力圏内だけ。外国では知ったこっちゃ無いとばかりにまねし放題。事態はエスカレートするばかりで、アルドゥスが新しいフォントの活字を作れば、独占権よりも先に盗用される始末。結局最終的には、独占権を得てもヴェネチア共和国内でさえ効力はほとんどありませんでした。そもそも、アルドゥスの活字を彫っていた業者であるボローニャのフランシスコ・グリフォが、同じ活字を他の印刷業者にも平気で販売していたそうですから、どうしようもないですね。 フランスのリヨンは特にひどく、本文をイタリック活字で組み、イルカと錨のマークまで付けた本を堂々と出版する印刷業者が、少なくとも2つはあったといいます。そんな当時の状況を端的に表わしている文章があります。 『無名人書簡集』初版本ですら1515年には[ヴェネツィアにてアルドゥス印行]という奥書きで出版されたほどである。もっとも、この本はアルザス州ハーゲナウのハインリヒ・グランが印刷したものであった。これに対して、シュトゥルムは1540年から、生徒に使わせる目的でアルドゥス版を複刻し、『アルドゥスの個人的な権威とイタリアの学者達の加えた注釈の故に、我々はすべてアルドゥスに従った』とその典拠を述べた。瓢窃と呼ばれる行為に対しては一般に放縦であったことを思うと、シュトラスブルク《文化中等学校》(1538年)の創設者ヨハネス・シュトゥルムがアルドゥスによったと堂々と認めたのは、学者らしい正直さを示した珍しい例といえる 『西洋印刷文化史 グーテンベルクから500年』S. H. Steinberg著、高野彰訳 まったくひどい時代でした。ちなみに1515年は、アルドゥスの亡くなった年です。 盗用、盗作に悩まされながらも、イタリック体活字や八つ折り版の本の創始、ギリシア古典の印刷といった輝かしい栄誉に包まれて世を去ったアルドゥス。肖像画からは、印刷業者というより堅物の学者という印象を受けますが、彼の意外な一面、というかやっぱりイタリア人だなと思わせるようなエピソードがあります。彼は自分の遺言執行人の一人に、当時評判だった美女のイザベッラ・デステを指名していたことです。イタリアの小国マントヴァの侯爵夫人イザベッラ・デステは、文学界や芸術界における有力なパトロンで、アルドゥスの顧客でもありました。「顧客」以上のなんらかの関係があったかどうかは定かではありませんが…。 現代でも様々な分野で、海賊版や盗作が絶えず世に出回っていますが、知的財産がまがりなりにも法律で保証されている分だけ、アルドゥスの時代とは比較にならないほど知的所有権が保護されていると言えるでしょう。今のアルドゥスのお話から先人の苦労を思いやることにより、法律上の所有権の有無に関わらず、有形無形の他人の所有物に手を出すのは実によくないことなのだと、改めて認識していただければ幸いです。 執筆:杉山朋子、村松佳子、蛭田龍郎
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